宇宙でパンクは響かない

注:2013年2月20日記 改無)

今週月曜日、ソーシャルメディアウィークというのに行き

鈴木健さんの「なめらかな社会とその敵」講演、

そしてそのまま大宮エリーさんの「生きているということ展」

という2つのつながりが無さそうなモノに触れ、

帰り道に「みち」ということが頭に浮かびました。

 

「みち」ってA地点とB地点を結ぶもので、

すなわち、それはつながりを示すもので、

さらに言えば、A地点とB地点(個人)があるからこそなり得るものだなと。

 

で、そんなことを思っている時に、

あるきっかけで「数学」のことを考える機会が訪れました。

 

すると、まったく想像がつかない。

「数学って何?」

これが僕の答えでした。

 

なんか宇宙に来た感じがしました。

A地点(自分がどこにいるのか)とB地点(どこを目指すべきなのか)

が全くわからない状態ですね。

 

この状態は、

たとえばタイに行った際、

タイ語は僕にはさっぱりわかりません。

でも英語があります、中国語があります、

さらにピクトグラムがあります。

つまり見たことあるものが景色にあります。

だから、歩くことができます。

 

でももし、タイ語しか表示されていなかったら、

きっと進めないでしょう。

それと同じ状態でした。

 

で、昨日のパンクの話なのですが、

きっとパンクっていう状態は

多少知ってるそして何が分からないかが分かってる。

だからこそ、やってみようと動けるんだと思うんです。

 

で、この

「何が分からないかが分かってる。」

というのが、非常に重要な気がして、

でこういうのってたぶん、

突き詰めていけば人生論とか

そういうことなんだと思うんですけど、

それが全ての行動の根本(進むことができる)なんじゃないかと。

 

だから知りたいと思い、

本を読んだり、人に聞いたりするんだろうと。

その命題に一生捧げたりする人もいるんだろうと。

 

つまり、それが第1歩で

A地点とB地点がつながろうとする瞬間、

なめらかになろうとする瞬間だと。

たぶん人は「未知」が怖いから「道」を作った。

でもその道を作った人は「未知」を承知のうえで進んだ。

わからないことがわかった状態で。

 

で、そういう人はきっと

人が作った道を進んでも楽しくなくて、

未知を知った上で進んだからこそ道が出来て、

満ち足りることが出来た。

 

それでまた同じ事を繰り返す。

 

だからそういう意味では宇宙ではパンクは聞こえないし、

そもそも起こらないし、起きたとしても響かない。

もっと言えばパンツも破けない。

 

ということで、「分からない」を探すために

明日から地球で頑張ります。

 

気が乗ったので今日の一句

 

満ち足りる

未知を知り得て

ひらくみち

 

まちだよし「みち」

(※よく間違えられます。)