注:2006年6月6日記 改無)
「芸術は爆発だ」
かの岡本太郎先生の一言だ。今日はこの意味を考える。
まず爆発が芸術ではないということだ。それは読んで字の如くである。爆発それ自体に芸術性を求めようという話ではない。
次に爆発の意味を考える。爆発というのは、何かと何かが加わる、もしくは変化が起きることによって生じる。そこには数学的な純粋なプラスもしくは掛けるがある。化学のことは過去すぎて忘れてしまったが、水素となんかが交じれば爆発が起きるし、それ以外にもそういう物質はあるだろう。また爆弾だって衝突物があるから爆発できる。つまり二つの要素がなければ爆発はおこらないということだ。
こう考えた場合、芸術するのは私という要素だと考えると、何かしらの要素・環境があれば爆発できるという話だ。まあすべての要素が起爆性をもっているわけではないので、それなら自分を起爆剤にしなさい。ということが「芸術は爆発だ」のはじまりで、それはイコールあらゆる環境をも起爆剤にしなさい、ということに他ならない。
新しいものを爆発と考えてみたって、同じことがいえる。
つまりそこに流れがあって今があって未来(爆発・新しいもの)があるのだ。そのことを意識するだけでどれだけ明るくなるか、道が開けるか、爆発を身近にすることはきっとすべての始まりなんだと思う。
さっきテレビを見ていたらロナウジーニョがブラジルのサッカーが芸術的だと呼ばれるのは攻撃的だからだと言っていた。
まあ僕が言いたいのはそういうこと。