遊びだよ、人生は。

僕がたまに知り合いに話す近所のおじさんに水泳を教えてもらっていた話、そのお姉さんがおととい亡くなった。

そのおばあちゃんは友だちのおばあちゃんで、ボクはその彼とは野球も町会も一緒だったから、よく遊んだし、家に行けばいつもいっぱいのお菓子をくれた。

もうほんと心配性で、誰よりも愛情的で、その子が野球でサヨナラヒットを打った時なんて、ほんと喜んで涙を流してみんなに感謝して回ってたくらいで、さらにいうと、自分も要領も悪く、その友だちもそんなにパッとしたわけでなく、そんなで仲良かったからか、ダメな二人でもほんとに色々見守ってもらってたし、何より優しかった。僕が初めてお泊まりをしたのもこの家、おばあちゃんがいるからうちの母も許してくれた。もう、地元も離れて全く会うことは無くなってしまったけど、自分の形成に大きな影響を及ぼしたことは全く間違いないと思う。

それで昨日、お通夜に参列させていただき、写真を見た瞬間、そしてその友だちの涙を見た瞬間、こっちも涙が止まらなかった。優しい眼差し、その友だちのおばあちゃんを思う気持ち、僕も辛かった。そして通夜後、そのおじさんとも話すことができた。実際話すのは20年ぶりくらいかな。

ボク 「あの時の水泳が今でもぼくの中では大事に生きてます」
おじさん「そうか〜、あれは遊びだったんだけどな〜」

おじさんにとっては教えてるつもりはなくて、おいっこ、その友だちと遊んでた。
この感覚すごいなと思うし、それ以上でも以下でもなかったんだと思う。

水泳の話、それは当時クラスのほぼ9割くらいが近所の水泳教室に行ってる中、うちは行ってなかった、それでも友だちに誘われるまま一旦だけど、基本マンツーマンでみっちり教えてもらったおかげで、3か4年生で始めたんだけど、6年生の時には僕は学年で2番目までにタイムが出るようになった。水泳を今後やることも考えてたんだけどその時におじさんが言ってくれた一言。

「俺が教えてあげられるのはここまでだ、もし本気でやりたいならいい先生紹介する」

僕は二つ返事でやらないことを伝えた。
たぶん、水泳がやりたかったんじゃなくて、そのおじさんに触れたかった、教えてもらいたかったんだと思う。
それと同時に自分の時間を削ってまで教えてくれる、その姿勢、そんな人で溢れればいいのにというのが僕の根元にある。

そのおじさんは当時60手前ながらも水泳で鍛えた見事な体で、とにかく姿勢が良く、強く見えた。
でも昨日会ったおじさんは姿勢はいいんだけど、言葉は少したどたどしく、ちょっと弱かった。
それでも会えて話せたこと、僕のことはもちろん、うちの弟のことも覚えていてくれたこと。
やっぱりすごく嬉しかった。きっとおばあちゃんは僕に会わせてくれたんだろうな。

昨日、石巻から来た住職後藤さんと打ち合わせで商店街の「はせがわ」に行って色々考えさせられたのも全て繋がってることなんじゃないかなって思いました。

たくさんの気づきをくれてありがとうございます。

一生頭が上がりませんね。
おばあちゃん、どうか安らかにお休み下さい。そして、いつもの笑顔で見守っていて下さいね。おばあちゃん、ありがとう。