ウルサイ学校を作ります

ようやくこの時を迎えることができました。
大森に来て4年、健太郎くんが新たに仲間に加わったことで、
学校プロジェクト(名称はウルサイ学校ではありません。)がいよいよ始動します!

学校を起こすにあたり、
大きなテーマは2つあります。

1つは「カテゴライズしない」ことです。

それはこっちの概念で物事を判断しないということです。
僕は高校生の時、数学と社会が好きだったにも関わらず、理科が苦手(生物)で、あえなく文系を選びましたが、それにより色々な可能性がその時点で絶たれるわけで、文系・理系のカテゴリーって何だろうとその時強く思いました。(文系にいった理由はみなさんの察するとおりです・・)
実際問題、社会に出てみれば「これは数学です」なんて問題はないわけで、カテゴリっていうのは結局明治以降、社会を加速的速やかに整える必要があった際、それの方が楽だったんだです、きっと。

で余談ですが、僕は文系に行って、その時付き合ってた彼女に泣かれたことがあります。
それは僕が積分ができたことでした。高校3年生になると文系の人たちは数学を諦め、クラスで何人かしか興味がなくなる中、文系の僕が解けて、勉強のできた彼女ができなかったことが非常に悔しかったと、きっと文系の僕にはできないと思ってたんだろうけど、そんなことで判断する人を減らしたい!(関係ないか!)

あとはよくあるのが親の判断です。
例えば僕はダンス(ヒップホップ)に興味がなく生きて来たので、子供にダンスをという選択肢は全くなかった。それに向いていないと思っていた。それよりサッカーとかラグビーをと思っていて、何度か一緒に行ったんだけど、そっちにはハマらず、いつの間にか始めたダンスにハマっていた。
よく親の得意・不得意でとかで躊躇したりとかあると思うんだけど、子供にはそんなの関係なく、その親の判断ってなんだろうと思うわけです。親の判断を取り除きたいというのが1つのテーマです。

もう1つは「読めない体験」です。

あらゆるものごとを生み出そうとする、その上で今後特に答えがない世の中を生きて行く上で必要なのは、
手元にあるカードをどう組み合わせて、その答えを探し作って行く、そんな力だと思っています。

その元となる体験をとにかくプレゼントする。読めないと位置付けるのは、場所と内容です。すなわと同じ教室で受けるものではなく、かつ想定されてない、とにかくあらゆる差違(「ノイズ」すなわち「ウルサイの意味」)の中で体験する、免疫を作る。そしてそれをいつでも引き出せるように記録する。で、ただの体験では終わらせず、価値づけるための仕組みを考えていて、これが結構画期的かなと思っています。そこまでセットで体験だと定義しています。

これも余談ですが、昔ある美容師さんが言ってた、
「夫婦で同じシャンプーは使わないほうがいい」
つまり、鼻で感じる違いが無いと空気のようになってしまい、夫婦の関係が冷めてしまうと。

それが差異ですね、
ウルサイの名付けの理由は「売る差異」でもあると言うことです。

何よりもそういう差異に触れることって楽しいし、あらゆる広げる可能性にもなるし
やっぱりそのために生きてるんじゃないかと思うわけです。

そんなテーマを商店街を中心に、ある社会で足りてないものを埋めるものにしたいと考えています。

詳しい発表は追ってさせていただきますが、
そんな体験を提供できる場所、人を募集しています。
お店やってたり、教室やってたり、個人で仕事してたり、会社をしていたり、
そんな人をご紹介いただけないでしょうか?どんなことでも大丈夫です!

よく外でお酒を飲むのをやめたというとなんで?と言われるんですが、
何かをやるために何かを捨てたということです。
それでも変わらず飲み屋には行くけど、ホッピーの外で充分楽しめるし、
その分、家に帰った後のビールがうまい!

翌日起きれなかったり、物なくしたり、記憶なくしたり、迷惑かけたり、
そんなことがすっかり無くなりました。

飲まなきゃ楽しめないっていう勝手なバイアスがかかっていたんでしょうね。
これもカテゴライズの話だと思います。

そんなこと書きながら、忘れてた!
昔授業してた!この時もいろいろ怒られたけど、
また怒られるのかな。。。
答えのない旅のはじまりのはじまり
まちはあきない

1つ変わった所で言うと、今の気分は
「答えがない」ではなくて「答えはひとつじゃない」かな。

ということで、色々と楽しみにしていてください。
どうぞよろしくお願いいたします!