ミッシェルと僕と仲間たち

ミッシェル・ガン・エレファントの解散から今日で10年だ。

10年前、その解散の知らせを聞いた時、僕はそれほどショックを受けなかった。
それには1つの大きな理由があって、僕にとってミッシェルは終わったものになってしまったから。終わったものという意味は、好きじゃなくなったということではなく、僕にとって学生時代、青春時代、そういったものが完全に終わったと分かったいたからだ。
それに加えて、またどこかでとくにチバ+アベがまたどこかで見れるのではないかという期待感もあったと思う。なのでアベフトシの死というのはとてもショックを受けた。
きっとあの出で立ち、あのマシンガンカッティングが見れなくなると同時に、それは2度とミッシェルが見れなくなるという宣告だったからだ。
最初の頃はそれほど強く感じなかったが、ミッシェルは実はアベで持っているのではないかという気すらしていた。あのギターのリズムあれが、ボーカル、ベース、ドラムの躍動感、グルーブ感を生んでいたのでは(もちろんそれぞれがとても大事だということは知った上で。)という感じがしていた。

ミッシェルは僕にとっては青春時代の全てだ、もう好きとか嫌いじゃなくて血であり、骨であると思う。今の僕のほとんどの下地が高校生時代のものであり、それはミッシェルと言っても過言でないくらいだ。もちろんミッシェルの曲で知らない曲なんて無いと思うし、今でも歌詞がなくたって歌えるし、たとえ知らなくたってそんなのどうでもいい。その時代を一緒に生きたということ、そこで見たもの感じたもの、そして聞いたもの、それが今の全てになっていると思っている。
それに僕の歌い方、ギターの弾き方、もう全部が彼らの影響である。どんな歌を演ったってしゃがれ声になるし、高速カッティングになってしまう。

僕らの世代は松坂世代とか言われたけど、違う、ミッシェル世代だ。
彼らの生き方、奏でる音楽、振る舞い、それが僕のルーツだ。

僕はミッシェルが「世界の終わり」でデビューした1995年に、高校に入学した。
高校に入ってすぐ、誰かは覚えていないが持っていた「cult grass stars」というアルバムを聞かされ、衝撃を受けてのめり込んだ。それまでグリーン・デイを初めとするパンクばかり聞いていた自分にとって日本語でこれだけかっこいいことができるのかと強く思い、すごく惹かれた。日本でもハイスタが居たが、英詩だったし、何より見た目とか全てがカッコ良かった、唯一無二というのはまさにだった。

前に誰かがアップしていた、ハイスタとミッシェルの記事、同じ世代にこの2つのバンドがともにどこかで意識しながら活動していたということはすごい意味があると思う。
一緒にやらない気持ちの良さ、今はフェスでいろんなバンドが共演し、もし今も両者続けていれば、ひょっとしたら共演なんていうものがあったのかもしれないが、そんな必要ないと思う。彼らさえいれば十分だった。

僕は当時、ミッシェルと同じようにラグビーにものめり込むんだけど、これまでの自分が知っていた世界、中学までの世界との差に高校みたいにいろいろな地域からいろんな世界が集まる場所ってやっぱり面白いんだと強く思った。
結局学校に行くのなんて世界を広げるためのツールにしか過ぎないと思う。勉強することで、ある学問に興味を持つ、友達の話からある文化に興味を持つ、モテたいから服に興味を持つ、なんでもそのきっかけを与える場所でしかなくて、それを後押しするために先生は存在するべきで、そう考えれば学校への過度の期待感なんて、ただの親の逃れを排除できるのではないかと思う。

「cult grass stars」に始まり、「キャンディ・ハウス」「High Time」これが僕の高校一年生。今考えると「世界の終わり」が僕らの始まりだなんて、皮肉すぎる、そして今考えれば「悪いのは全部キミだと思ってた~」なんて今の世の中をも表していると思う。言ってしまえばこれが僕らの入学式の歌であったわけだ。
君らの時代はもう世界の終わりが紅茶を飲み干して静かに待っているよ。と。だから自分の目で耳で感じなさい、考えなさい、そして行動しなさい。それがチバ校長先生からのメッセージだったのではないかと思う。

もちろん初めて聞いた時、理由なんてなくカッコ良かったんだけど、あのメロディーと歌詞、声、ギター、とにかくカッコ良かった。なんだこの銃みたいなギターは、声は!?
パンクなんて結局気持ちとか思いなんだと思う、それを見事に体現していた。うまいのは当たり前なんだけど、あれだけのコードで僕でもちょっとは弾けるようなギターでなんであんなかっこ良くなるんだろう。結局技術なんて、センスの前では霞んでしまうんだなと感じたことを強く覚えている(今となっては技術ありきのセンスだということに気づくんだけど・・・)

また「High Time」、いまがそうする時だよ!そんなことも彼らは伝えてくれた。
僕の中でミッシェルのアルバムの中で「High Time」というアルバムが1番聞いたと思う。「うんざりを焼いたらビニールの溶ける」「晴れたら空で何を見ようかリリー」「すがりついてしがみついて」「甘いモナコへ逃げよう」「それでも明日はシャンデリアが降る」「笑うしかない」「フランスパンとミルクだけ銀色のトランク詰め込んで」「苦し紛れに言われたい」「あの花咲く頃にスロー」「baby,Please go home!」もう全部覚えてるよ。あのジャケットを見ると当時の学校の門だとか、帰り道とか、学校の裏のコンビニとかそんな風景が浮かび上がってくる。高校一年生だから味わえる余裕感、焦りのない感、ただ楽しんでいればよかったあの時代、そんな光景だろう。

それから高校二年生、「カルチャー」「ゲット・アップ・ルーシー」「Chicken Zombies 」この頃のチバユウスケ(敬称略)の誌はチンコのことばかりだったと思う。僕らも高校二年生くらいになるとラグビーの練習の合間に他人のそういう浮かれ話を聞いては股間をふくらませて、いつかは俺も!とコンビニでエロ本を読んでいた。練習前に聞いた話のせいで、ろくに練習に身が入らないこともあった。僕らに教えてくれた「ねえ、ルーシー、聞かせてよ、そこの世界の音」「立ち上がれ、ルーシー」AVか!

音楽的な話だと僕はこの頃の乾ききった演奏がすごく好きだった、初期の頃に加えて洗練された、僕が1番好きだったミッシェルの集大成の時期だと思う、混じりけなしのミッシェル。

僕はこの二年生で初めてギターに触れる。前述の「High Time」の曲をやるために。でも全然出来なかった、きっと聞いている方が楽しかったんだと思う。それでも練習して音楽の授業でコードを付けて歌うという授業で、リリィをピアノでやった、「こめかみ指で~」とピアノでひいてる姿は滑稽だったろう。きっと。何が「ソファーで何を見ようか、リリィ」だと。周りはHoweverとかやってたなあ。ミッシェルが染み付いた僕にはそんな曲は出来ませんでしたよ、もちろん技術がないからなんだけど・・

で、その後「バードメン」という曲で僕らラグビー班(うちの高校は部ではなく班と呼ぶ)と今でも仲良くないバスケ班の補欠と「バードメン」をいつか文化祭でやろうとバンドを初めて組んだ(バンド名「吉田」)。部活で足に筋肉が一杯ついた、しかもチビばかりというミッシェルとは程遠いスタイルの4人組だった。
しかも結成から5ヶ月一切の練習もせずに迎えた第一回の練習で、「バードメン」の最初のドラムが叩けずに、バスケのドラム(偽クハラ)が脱退、それにつられて偽アベも脱退、残ったのはチバになりたい、ポジションの決まらない2人だった。

そんな僕らもラグビーの後に練習をし、ドラムをよその学校から見つけてきて三年生の秋、文化祭に出演できることになった。前日のオーディションでの結果、僕らは一年生を差し置いての前座、出番は9時。つまり出演者で1番レベルが低いと烙印を押されたのだ。「誰がそんな時間に見に来るんだ!」と三年生パワーで、なんとか午後一の時間帯にしてもらい、オリジナル3曲(全然コピーが出来なかった)とミッシェルからは「Baby,Please go home!」そして日本の曲のカバーをやり続けることで有名な世界一アホで簡単に演奏真似ができるバンド「SNUFF」から2曲、そしてなぜその実力でやろうと思ったのかわからない「赤いタンバリン」をやった。「赤いタンバリン」もやったけど、はソロ部分オールカットという超強気な構成だった。

初めて人前でやったけど、客席が引くというのを肌で感じた。人が引いてるのはもちろん、客席からどんどん人がいなくなっていった。笑っていたのは同級生のヒマ人ばかり、普通の人は受験勉強してるしね、そんな時間。でも僕らはその時あくまでも強気に、自分たちが進みすぎているのだと思った(今考えれば恥ずかしい。。)。

で順序が逆になってしまったけど「Chicken Zombies」。このアルバムが高校二年生を表しているのかなと思う。一年生の時の開放感と三年生の閉鎖感の間、先ほど乾ききった感といったが、まさにそれを表しているような状態だったと思う。このアルバムの中には「ブギー」という曲があって、その中の歌詞が今のうちの会社名になっているんです、ホントは。
「錆びついたウルサイが音無しで出回るんだ、ただそれくらいだろう」
つまり、たとえばちっぽけな僕が喚いたところで、大して影響も無いし、それくらいしか出来ないんだから勝手にやってもいいでしょう!もうほっといて!ウルサイ!っていう意味で、ウルトラサイバーエージェントなんて意味はこれっぽっちも無いんです。
この頃はダジャレみたいな曲が多かったな、「ハイチャイナ(吐いちゃいな)」「カルチャー、枯れちゃう」。「サニーサイドリバー」カッコ良かったな。それにこのアルバムはレコード盤のジャケットがカッコ良かった。もうこんな若い感じの4人は永遠に見れないんだなと思う。もどれない青春、そんなイメージだ。

で、その後三年生になっての「ギヤ・ブルーズ」。僕らはその当時になるとみんなバイトもちょこっとしてたし、ミッシェルのアルバムくらいは自分たちで買うようになっていた。でどの店で買うのかっていうのが重要でその当時はCDを買うとポスターが貰える上に、別の特典もついてることが多かったタワレコまで出たくない授業中に買いに行ってた、チャリで(電車代もったいないから。)しかもみんなの分を買ってくることでポイントが溜まるし、土地勘もあったから僕がよく買いに行ってた。でその帰り道、自分が先にその音源を聞くことになるんだけど、この「ギア・ブルーズ」を渡すとき、僕は「なんかヘビーロックみたい。」と伝えたようだ。
この「ヘビー」というキーワード、これは高校3年生の僕らにとっては、大学行くのかやりたいことやるのか、そんな岐路に立っている場面でだからそう感じたんだろう。でもその中で最後の曲が「ダニー・ゴー」、「振り返らず錆びた風は続いてくだろう、ざらつくダニーかき鳴らして行くんだろう」。結局チバ先生の言うこと、今のことはわかってる、それでも続いて、かき鳴らして行くしか無いんだよ、行くしか無いんだよと言っている気がした。ちょうど僕が大学受験に本腰を入れたのもこの時期、先生は僕らのことがわかっているんですね。そしてこの曲がなかったらミッシェルのところを離れていったかもしれない。そんな曲だったと思う。このアルバムはこの曲が全てだとすら思う。

で、「スモーキン・ビリー」という曲もありましたね。先生はタバコを吐き出すということは喉の奥にあるものを吐き出すんだよと教えてくれた、おかげでタバコも歌も辞められないですよ、先生。いつか先生が禁煙してたら、なんか嫌だな~。でも奥さんに言われて換気扇の下で吸ってるくらいなら「いじけるなベイベー」という感じで愛らしいと思うけど。この歌が卒業生へ送る言葉かな。

そんなこんなで僕の高校生が終わった。
僕にとってミッシェルとの出会ったことから振り返ると「ルーツ」の素晴らしさなんでは無いかだと思っている。ミッシェルの惜しげも無く披露する、過去のルーツ、その御蔭で僕らはあると散々言っていたと思う。当時武蔵小山には「PET SOUNDS RECORD」が今と違う場所にあって、そこではそういったことも教えてくれた、ミッシェルのルーツ、いろんなバンドをそこで知ることが出来た。でも結局僕らの出した結論はミッシェルが一番いい。でもルーツを知ることはもっといい、そんなことを彼らは教えてくれた。ルーツというと重いけど、もっと簡単にいえば、それは誰かと誰かがつながっている、1人でない、1つではない。無からそれが生まれたわけではない、ということだと思う。それはちなみに僕の卒論のテーマで結局いまのそのテーマから逃げることが出来ない。このルーツが僕にとってはミッシェルだったけど、それがそれぞれの人にあると思うと、面白いと思うんだけどな。

その後、ミッシェルは1年くらい新曲を発表しなかった。
その間、僕は大学生として人生最大の失敗をし、ロシア語を第2外国語として選んだおかげで学部に2000人もいるのに、クラス3名、ロシア語受講生7名という大変希有な環境、そしてサークルもやらないし、つまり友達4人くらいしか出来ない大学生活が始まった。その時出会った友達もそれを選択しなければ出会えなかったという意味では必然なんだし、もしこれが宝くじなら三億円引くくらいの確率かな?
余談だけど、前のスカバンドで「才をくれ」という歌詞があったんだけど、「さんおくえ~ん」ってバカにされたな。三億円くれるなら、才なんていらない!

話を元に戻すと当時はメロコア全盛で、もうみんなそっちばっかりだったし、僕も「Pre-school」「くるり」を中心に日本、海外問わずミッシェル以外のロックやパンクも聞いたし、いろいろ聞いたり、見たりしていた。高校時代の友人と疎遠になってしまうように、ミッシェルとも疎遠になってしまうかのような感覚でいたと思う。まあ居場所が変わるということはそういうことなのかなと思ってさえいた。

そんな2000年、僕は二十歳。ようやくミッシェルが動き出す。
それに吊られるかのように、僕もちゃんとバンドがやりたいと思って、前述のチバポジションを争った、ウィングのベースの彼と文化祭でラルクを青い髪に染めてやっていたドラム(器用貧乏、素人童貞)とスリーピースのバンドを組むことになり、練習に励んだ。ギターも初めて買った。もちろんチバが最初の頃使っていたジャガー。

当時、酒も飲めることになって、よく下北に飲みに行った。
わけもなく、下北で集合し、下北っぽい「しもきた野郎」という店に行き、100円のサワーを飲んでいた。下北にはチバユウスケの書いた下北屋根裏の看板があって、それを拝み、絶対ここでやってやるぞ、そしてチバみたいになってやるぞと誓って、べろべろになっていた。
下北という街、そこにいるだけで、なんとなく風を感じることができたんだと思う。下北には「ハイラインレコーズ」もあったし、ライブハウスもいっぱいあった。僕らより前の世代の人達は演劇のほうが強いんだろうけど、僕にとっては音楽、とくにバンドの街だったと思う。。
あとは高円寺、ここも前述のハイスタとミッシェルの件で出てくる、「GEAR」「20000V」などではよくやった。「20000V」のブッキングスタッフにはスキャフルの人がいて、いつかは対バンするぞ!なんて、浮かれてたのを思い出す。
そして2008年あのビルが燃えてしまった時、僕はその後のスカバンドで数日後にやることになっていたんだけど、そのライブ自体流れてしまった。そしてそれを気にそのバンドも解散してしまった。とてつもないパワー、かつてのミュージシャンたちが残していったパワー、それがあの場所にはあったんだと思う、あの地下に。

2000年当時、世間はブランキーの解散もあったと思うけど、ミッシェルで言えば「カサノバ・スネイク」やっぱりこの頃になると聞く回数が減ったんだろうな思う。これは僕の思い違いかもしれないけど、その前の年に「Rising Sun in Ezo」があったし、当時のロッキン・オンもミッシェル、ブランキー2大巨頭みたいな扱いだったし、それでの影響が強いのかなというくらい、スタイルが変わっていった(進化していった?)。この頃になるとバイクを買って、その後に出る「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター 」とか「俺のタンデムに乗ってみないか!?」なんていう気分になってたり、ミッシェルだけでない世界に興味を持ちだしたのかもしれない。それにやっぱりでも歌詞が理解できなくなってきた気がする。「荒馬2人乗り ビートの亡霊、ゴールドのマリア、アンジェリカの思い出」って誰?何?っていう感じかもしれない。でも不思議な事に歌詞を覚えてる。これって意味を覚えてるんじゃなくて、その雰囲気を覚えているのかもしれない。未だにハイスタの曲を歌えるのと同じ感覚、なんだろう、コレ。

でも2001年、僕は初めて生でミッシェルを見て(YOYOGI RIOT)、やっぱかっけえな、もうメロディがいいとか歌詞がいいとかそんな次元を超えた、僕らにとってのスーパースターなんだと改めて感じた。それまで生で見なかった理由は、もう少し自分がしっかりするまでは生で会っちゃいけないと思ったからで、なんでそんなことを思っていたのかは全く分からない。単にお金が無かっただけかもしれないし、ライブビデオはよく見たのに・・・今となってはもっとこの目に刻んでおくべきだったと思う。
ちなみに僕が何かで持っていた貴重な映像を友人に貸したら、その上に「ナースのお仕事」がダビングされた状態で返却された。そいつは「ねーちゃんが・・・」と言っていたが、上書きというのは一歩間違えると人のやる気全てを削いでしまう危険な武器だ。あの無常観、ああこれが世界の終わりか!?

「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」、ケリーの赤毛のPVくらいしか印象ないけど、なんか学生も終わりなんだ、来年は就活でみたいな気持ちだったのかもしれないし、バンドもちょっとだけ上手く言ってたのかなという気もするし、それもわからない。この頃になるとあまりインタビューも喋らないし、バンドから笑顔も消えてたし、そういう意味で近づけない雰囲気がより強くなったんだと思う。でも赤毛のケリーはすごく好きな曲だった。「水牛のツノで作られた街で~、ウィンカーの出ない車にはラムの~」その後のチバユウスケが所属するバンドの原型になるような曲なのかなとも思う。でもこれもやっぱりあのギターありきなんだろうな。

ここからまた空いて、「SABRINA HEAVEN」「SABRINA NO HEAVEN」、もう限界だったんじゃないかな、それは解散ライブのラインナップ見てもこの頃の曲はほとんど無いし、僕もこの支配からの卒業だったし、本当に大学を卒業してしまい、また違う世界へと飛び込んでいったという証、卒業証書だったのかな。

ああそうだ、「エレクトリック・サーカス」があった。最後にこれ聞いたときはほんとに全てが終わるんだなと思った。「俺達に明日がないってこと、そんなこと初めからわかってたよ」今聞いてもあの頃と言うか、ミッシェル全体の歴史至っては自分の歴史まで浮かび上がってくる。世界の終わりで言ってたことはほんとだったのか、そこまで見据えて言っていたのか、そんなことはわからないんだけど。電子化されたサーカス、心じゃないってことなのかな、なんかマネキンがサーカスしてるような感じ、あの好きだった頃の乾ききった感じの終着点なのかな、これが。もちろんこの曲も大好きな1曲だ。

でもやはり、高校時代にミッシェルに出会えたからこその、大学時代、社会人時代があるし、ミッシェルというグラスを通じて見ていろいろなことを語り合っていたのだろうと思う。それに僕にとってはミッシェル=チバユウスケではなくて、あの4人、コーラスの下手な3人の演奏団とボーカルがミッシェルだったんだと思う。アベフトシ亡き今、もうこの4人が揃うことは絶対にないという意味で伝説になったし、当時を共に生きたということはやはり僕にとって大きな財産で僕の年表をまさに表している。

だから僕にとってミッシェルとは紛れもないくらい青春で、僕の変化も表してくれている。もし○○に出会えなかったらというキーワードで考えると、ミッシェルと稲中とラグビー班くらいしか浮かばないくらい、自分にとっては大事なもので、今僕が好きなものもたぶん、そういう時代の自分があったからかなと思う。

ミッシェルの影響を受けて、ミッシェルよりも更にかっこいいバンドが出てきて、それを自分事のように考えられるバンドがいっぱい出てくるといいな。

音楽的な話をするとミッシェルの曲はほとんどAメロ、Bメロ、サビが同じコードで展開されていて、その中でメロやバックの演奏で雰囲気がガラッと変わる。しかもコードも単純なものが多くて、僕でも弾ける。ほんとセンスなんだなと思うよ。難しいことしなくてもかっこいい、簡単だけど真似できない。この思想にとても強く影響を受けた。まあ日本を変えちゃうくらいなんだから、僕のように影響を受けた人はいっぱいいるんだろうけど。
最後にもしアベが実は生きていたとかで、最後の一夜があるならば、希望はこんなセットリストかな。

VIVA LA MICHELLE!!

・シャンデリヤ
(チバ遅れて登場)
・Lily

・Get up lusy
・CISCO
・深く潜れ
・flash silver bus

・ブギー
・ブラックタンバリン
・アウト・ブルーズ

・スモーキン・ビリー
・Automatic
・バードメン

・キラービーチ
・君に会いにゆこう
・スロー
・Baby please go home

・ジェニー
・strawberry garden
・デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ

・武蔵野エレジー
・リボルバー・ジャンキーズ
・ドロップ
・サニーサイドリバー

アンコール1
・エレクトリック・サーカス
・ダニー・ゴー

アンコール2
・Candy House
・ケリーの赤毛

アンコール3
(アベ、怒って登場)
・世界の終わり