とうさくに溺れたい-私の愛してない数式 番外編-

注:2006年6月6日記 改無)

「とうさく」今日はこの言葉について考える。
世間を和田氏がこの言葉で賑わしているが、そもそも人の技術を真似すること自体は悪いことではないと思う。
昔から師匠の技を盗むという概念もある。それにあらゆるものはいきなりぽこっと生まれるわけではない。それに至るまでの流れや周りがあるからその先があるのだ。
そう考えれば真似も盗作も前に進みだすためなら、何も悪いことはない。むしろそれすら排除しようとする特許なり知的財産権なるものは新たなものを生み出す道程であまりメリットはない。

ただ今回の和田氏の件から学ぶ二つのアホな点は、
1 真似したものを自分自身の作品が超えていない。
2 画家は孤独でこそ画家だと言った。
ということである。

1に関していえば、先程真似ること自体は悪くないと言ったが、盗むなら盗んだ以上の自分との化学変化がなければ、それはパクリの領域から抜け出せていないことになる。ダウンタウンの松ちゃんもコロッケの物真似はコロッケにしかできないからいい。と言っていた。つまりプラスの部分を作り出さなきゃ盗作で終わってしまう。だけど自分という要素だけで十分プラスになるし、自分が介したということ以外にプラスになる要素はない。そのことに気付いているかしかない。

二つ目は、自分だけですべてを生み出せると思っている点である。いろいろな過程があって、仮定があって、作品が生まれる。その中には自分を中心とした自分周がある。この周りを排除することでは何も生まれないし、単なる自意識過剰でしかない。
結局それは単なる臆病に倒錯しているだけだ。

すなわち
盗作=倒錯×(自分×自分-環境)。

自分しか考えていない以上、先には進まないということで、
それを人はオナニーと呼んだ。