今日の日はさようなら

いよいよ今日は投票日。
成人を迎えて、初めて投票に行った日、
場所は自分の卒業した小学校だった。

あんなに大きいと思っていた校舎がとても小さく、
ああ、俺もオトナになったのか、ようやく国に対して
何かしらの意志を見せられるのかとと思ったことを思い出す。

これまで特に触れなかったけど、
どうしても今日は書いておかないとなと思って
書くことにした。

選挙。
これ誰のため?
って考える時に、一番重要なのは自分の子どもたちやその子どもたち、
未来の子どもたちではないだろうか。

もし20年後、色々この国がボロボロになってたとして、
大きくなった子どもに「パパは20年前何してたの?何かしたの?」
って言われたらさ、悲しくて生きてられないと思う。

正直、今の国や都が抱えるべき問題が多すぎて、
それを全て理解して、政策を吟味して、
投票するということはとても難しいと思う。

でも、わからないということで、投票すらやめてしまうのは
子どもたちの事を無視してるってことになると思う。
子どもたちの声は届かないし、まだそこまで考えられることができない。

だからこそ、ちゃんとその代わりに行かなければいけない。
投票って子どもたちから託された未来へのカギなんじゃないかと思う。
うちには子どもがいないとかそんな次元の話じゃなくてさ。

前回の参議院選挙で「ねじれ」が無くなった。
「ねじれ」ってのは絶対に必要な要素だと思う、
だってそれが無ければ全てが画一化する。
そうなると違う意見なんて通るわけない。
だから、小さな「ねじれ」でも起こしていかない。
それが東京人にとっての今回の選挙なんじゃないかと思う。

「ねじれ」これは生きていく上ですごく必要だと思う。
なぜなら人はそれぞれ考え方も生き方も大事な人もモノも違う。
そんな人たちが一緒に生きている社会ではどうしても「ねじれ」が出てしまう。

それはどうしようもないこと。
だからこそ相手の気持ちを考え、
出来る限りその社会の人たちが満足できるように考えることが出来る。

もしその結果がうまくいかなかったとしても、
それを踏まえてまた次のステップが踏める。
そうすれば前より少し良くなるかもしれない。
だめになるかもしれないけどね。でもそれが成長なんだと思う。

今の国が進もうとしている方向、
それは結局、他の意見は聞かないすなわち効かないということ。
だから、今回はその「ねじれ」を起こさないといけないんだと思う。

それも強烈な「ねじれ」を。
http://politas.jp/articles/83

そのねじれを起こさないといけないとことさらに強く思う理由、
それは「戦争」ということ。

僕は自分の子どもとその仲間たちがハタチになった時、
一緒に笑って酒が飲みたい。
下らない話して、美味しいご飯食べながら、
たまには真面目な話しながら。
それが全て。

うちのじいちゃんが昨年死んだ時、
ばあちゃんと色々な話をしたんだけど、
ばあちゃん泣きながら
「絶対に戦争なんかしちゃダメだよ」って言ってた。

昨年、同時期に「あそび道場」としていろいろなおもちゃを集めていた時、
いろんなおばあちゃんから、それにまつわる話を聞いた。
戦争を体験しているかたは、やっぱりおもちゃを思い出すときには
その時代を思い出すわけで、それは必然的に「戦争」がある。
だから、その辛い時代を思い出すと、涙が出てくる。

そこには共通の孫世代である僕への思いであると受け取った。

前回の参議院選挙の前日くらいに
「メタルギア・ソリッド」という本を読み終えた。
伊藤計畫の本で、この人は、本を3冊くらいしか出せずに亡くなってしまった。
34歳という若さで。
伊藤さんはインターネットの仕事もしていたみたいで、
圧倒的な現代のへ理解力とそれを駆使した想像力を持った人で、
未来を描くのがすごく上手だからこの人の色んな話が見たかった。
そして彼に今の時代とその未来を描き続けてほしかった。
そうすれば色んな人がもっと現代を理解できると思うから。

戦争がもたらすもの、それがよくわかる文章だった。
これまでその本を買って以来2年ほど、
どうしてか分からないんだけど、ずっと読み切れなかった。
だけどその時は最後まで一心不乱に読むことが出来た。
それがタイミングだったのかは分からないけど。

戦争がもたらすもの、それは?
実際に戦争したことがないから分からないけど、
僕らが全く想像できない後悔という怪物だと思うんだ。

なんであんなことをしたんだろう、きっとそれがその人の人生にずっと残る。
残るというよりは刻まれるって言う方がしっくりくる気がする。
とても強い人はそれを武器にその何倍ものすごいことをやってのけるかもしれないけど、人はみんなそんなに強くない。だから苦しんでる。それがよくわかった。

もちろん、大事な人を失い合うということが
分かりやすいことだとも思うんだけど、
ほんとに何も残さない、それが戦争だと思う。

日本には憲法第9条というのがあって、
日本はどんな状態になっても戦争をしません、人を殺しません、
というものがある。
それを文化遺産にしようという人もいるくらい、世界でも珍しい。

日露→日清→太平洋と戦争を繰り返し、勝ちと負けを味わって、
その勝ちで得たものよりも負けで得たものを大事にして作った憲法。
たぶんね、魂が違うんだよ。もう何も失いたくないっていう強い気持ちでしかない、
そう思うんだよね。

そんな憲法を変えようというのが今の与党。
その「ねじれ」が無くなってしまう。

この2、3年はね、いいかもしれないんだ。
だってそのおかげでお金がいっぱい増えるかもしれない。
世界には戦争のおかげでお金を稼いでいる人もたくさんいる。
だけど自分の子ども成人になる15年後、どうなってるか分からないよ。

もし自分の子どもが20歳になった瞬間に
軍隊にいかなきゃ行けないなんてことになったら、
悔やんでも悔やみきれない。

そんな素晴らしき貴重な20歳が戦争を実感する年だとすると、
考えるだけでも恐ろしい。そんな未来は考えたくない。

生まれた国によってはそれが当たり前という国もあるし、
考え方の違いがあるかもしれないけど、
戦う話よりも楽しい話はいっぱいある。

だから、最初に言ったように
今を生き、なおかつ投票できる権利というのは
未来の子どもたちからお願いされているにすぎないと。
まだ見ぬ自分の子供たちが20歳になるときのことを考えなければいけない。
この2、3年のことでなくて、2、30年先のことを。
子どもたちのことを。

今日が大事っていう意見は間違っていない。
だって今日がんばらなければ明日もがんばれないから。

今の世の中はお金の投資という考え方が全てで、
そのせいでみんな目先のことを考えてるけど、
本来はこういうお金じゃないところで投資ってコトバを使うべきだと思う。
まさに政治に言えることな気がするんだ。

さっきの言葉とは逆説的に、
未来を決めるのは、今日頑張って投票に行かないといけない。
足元が悪くて滑ろうが、未来が滑るよりマシだ。

未来のことも考えつつ、今のことも考える。
とてもむずかしいけど、それが許されたのがオトナの権利だとしたら、
それを全うしなければいけないと思う。
真面目なコトバで着飾るのも嫌だけど、
せめて自分の子どもの前くらい、カッコつけてもバチが当たらないと思う。

僕の願いはただひとつ、
15年後、息子や自分の友だち、その他の人たちが
楽しい話で、美味しくお酒が飲めますように。